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プロフィール

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はじめましてきくさん(you_1581)です!

プロフィールにお越しくださり大変感謝しております( ^^) _旦~~

このブログでは実際に体験したことを書いていて、9.5割は体験したことです

(体験していない記事は“リサーチ”とか“調べました”とか書いてます)

 

このブログの目的は

自分の経験で人の幸せに貢献したい

です。

 

人生って、自分だけのものじゃないですか。

同じ人生なんてものはないし、自分の経験が人の役に立つことって本当に多いんですよ。

 

人を大切にしたい。

自分も大事にしたい。

 

そう思ったら吉日!ブログを開設しました。

(もちろん広告収入も欲しいですよ😊)

 

ではでは自分語りをしていきますのでどうぞごゆっくりしていってくださいね♪

きくさんとはどんな人?

神奈川県川崎市に生まれ、5人家族の(兄・姉)末っ子です。

血液型はみんな大好きのB型。

性格は凝り性で負けず嫌いでのんびりとした性格です。

 

幼少期~小学校

幼少時は幸せに暮らしていましたが、小学校4年から6年までいじめにあい、世間の厳しさを体験しました。

(上履きやカバンを踏まれたり捨てられたり、暴力があったり、仲間外れにあったり、クレンザーで頭を洗われたり、エアーガンで撃たれまくったり)

 

ほんと、いろいろありました。

 

性格的に負けず嫌いだったので、誰にも相談できず、ただただ耐えました。

(とはいえ、小学校の時に2回ほどズル休みしました)

ただ、小学校6年卒業前に、いじめの主犯格だった人(今では友達です)が逆にいじめられるようになり、立場が逆転?して中学校に行きました。

きくさん
きくさん

(主犯格もいじめられないかな…なんて心のなかで思っていたら引き寄せました)

 

こう聞くと、「結構ヒドイナ…」と思うかもしれませんが、ずっといじめられていたワケじゃなく、あくまでも遊びの延長でいじめられていました。

遊びの延長って恐いですよね。

 

 

中学校1年生時代

中学校1年生は真面目な性格で、原宿とか渋谷とかに洋服を買いに行くようになりました。

こんな感じの服↓

当時はCRUやベルサーチ、STUSSYやDRAGONのジャージを着ていました。

渋谷に行ったり原宿に行ったり。楽しかったですね。

麻疹(はしか)にかかったときは死ぬかと思いました…。

1週間学校を休んだので、勉強がだいぶ遅れてしまいました。

 

そして中学2年生。

学校人生で一番楽しかったのがこの中学2年生でした。

クラス全員仲良かったですし、本当に毎日楽しかったです。

もちろん、今でも当時の交友関係は続いています。

 

両親の離婚

小学校高学年あたりからだんだんケンカが激しくなっていて、

  • 毎日の母親の怒声
  • 帰宅しない兄姉
  • 泣きつづける母親
  • 父の会社に電話をしまくる母親
  • お金がないと叫びまくる母親

こういった状況を一人で見ている状況がとても苦しかったです。

せめて兄姉が家にいてくれたらと思ったのですが、兄姉は僕と年齢が離れているので、バイトしたり一人暮らしだったんです。ほとんど家にいなかったんですね。

 

ケンカの原因はお金と浮気。

ダブルの事だったので、それはそれは激しいケンカでした。

離婚は寂しかったですが、正直、ホッとした自分も確かにいました。

きくさん
きくさん

(ずっと両親が離婚しないかな…もうやだ…と思っていたら引き寄せちゃいました)

 

現在、両親の離婚で苦しんでいる方の気持ちは本当によくわかります。

今まであった幸せがすべて粉々に消えてしまうのと同じですから。

本当にツライですよね~…。

 

僕の家庭の話になってしまいますが、離婚をしてよかったと思っています。

幸いなことに、離婚はしましたが家族みんな仲良しだからです(笑)

お互いに別々の人と結婚し、それぞれ家庭を持っているので本当に良かったと思います。

離婚して幸せになるのなら大歓迎です😊

 

家庭環境が悪そうに見えますが、クリスマスや節分などイベントは必ずやっていましたし、ご飯も毎日作ってくれました。お弁当も必ずありましたし、塾も行かせてもらっていました。

離婚前までね。

 

そして中学3年生。

こうした自転車に乗っていました。↓

この頃になると、中学2年生のときにハマりだした、授業をサボるという行動が目立つようになります。サボっては友達と遊んで、自転車改造したり、ケンカしたり、ボコられたり、酒を飲んだり、とにかく遊んで遊びまくりました。

でも、決して学校がいやだったわけではなく、単純に遊んでいたかったんですよね。

同じことを考えて、同じ遊びをして、同じ価値観の友達といて。

ここで友達ではなく、“仲間”というものを覚えました。

本当に良い思い出です。

 

高校時代

遊んでいたばかりの中学3年生ですが、何とか高校には入学できました。

この頃になると勉強も遊びも楽しかったです。

高校は厳しかったので遅刻早退は厳禁。もちろんサボるのもダメ。

なのでまじめに通っていました。

 

ただ、ちょっとアホだったんですね。

ひょんなことで問題を起こしてしまい、集団で謹慎処分になりました(笑)

自宅ではなく、通学謹慎でした。

 

このとき、ちょっと思っていたことがありました。

「お金が欲しい」って。

 

離婚してから父と姉と3人暮らし。

その頃の家の状況はあまり覚えていませんが、たしか父がご飯を作ってくれていたと思います。

もちろん、父も仕事していたので、作れない時はご飯代(お小遣い)をくれて。

 

でも純粋にお金が欲しかった。

もっと自由にいろいろな物を買いたかった。

今思えば、寂しさをお金で埋めようとしていたのかもしれません。

 

塗装屋時代

結局、高校を中退し、自分の力で稼ぐことに決めました。

初めていただいた給料は8万円。

とても嬉しかったのを覚えています。

 

ただ、きつかった…。

 

友人と働いていたのですが、これが僕とタイプの合わない友人で。

人を見下す、自分が一番、イヤミのオンパレード。

当時の僕には中々ストレスでした。

 

また、友人だけでなく、上司にも毎日怒鳴られ、胸ぐらをつかまれ、突き飛ばされたり。

通常の時は楽しくて、面白いおじさんなのですが、イライラするとすぐ怒鳴る方でした。

本人曰く、「かわいいからつい、(笑)」と(笑)

ついじゃねーよ(笑)

 

イヤ―今思うとなかなかきついです。

 

ただ、悪いことばかりではなく、味方になってくれる人もたくさんいました。

守ってくれたり、かばってくれたり、上司のいない帰りの車で慰めてくれたり。

本当に涙がでました。

ここで、

「見てくれている人は必ずいるんだ」

と学びました。

 

塗装屋には3年務めました。

いじめは長く続かなく、上司は逆にのけ者にされ、イヤミな友達はどうなったか覚えてません。(仲直り?したのかな?確か)

あと、別の先輩にボコられました(笑)理由は…よくわかりません。生意気だったかな?

そのあと、その先輩は僕のことを可愛がってくれていた人にボコられたそうです。

きくさん
きくさん

(先輩…誰かにボコられないかな…っと願ったら叶っちゃいました)

 

運送時代

塗装屋退職後、中学時代お付き合いしていた人の父が勤めている運送会社(社員数150人程度)にアルバイトとして入社しました。

 

最初は倉庫の仕分け作業。

塗装屋時代のことがあったので、大人は少し恐かったです。

ただ、どの人も優しい方たちで、とても可愛がってくれました。

 

1年仕分け業務したあと、運転手として正社員に。

元々運転が下手くそ(塗装屋時代に怒鳴られまくった)だったので、自分がまさか

きくさん
きくさん

運転手をやるなんて…

と思っていました。

 

せっかく拾ってくれたこの身。

迷惑かけないよう、精一杯恩返しをしなくちゃ!

そう思って必死に働きました。

 

ただ、やはり運転は下手くそで、1年に1、2回は車をぶつけたり、納品先の建物を破壊したり、前方の車に追突したりと…当時の上司には大変ご迷惑をおかけしました。。

しかもこれが乗用車と変わらない2tトラックなのですから、今思うと本当に下手くそだったなぁと思います。

 

7、8年経過したころですか、ようやく事故を起こさないようになりました。

「どんなに才能がなくても継続すればそれなりになる。」

と学びました。

 

部署のリーダーに抜擢

事故を起こさなくなったくらいからでしょうか。

リーダーに抜擢されました。

 

ただ、一番下っ端ですし、年齢もだいぶ若造なので…これがまたかなり苦労しました。

自分より年齢が10も20も違うのですから。いわゆる年下上司です。

 

僕がリーダーになった途端に、先輩たちは態度を変えるようになりました。

「リーダーなんだから責任を取れよ」とか言われたり、明らかに会話がぎこちなくなったり。

なんだかとてもツラかったです。

 

その状態でも日々の仕事は進行していきます。

あまりコミュニケーションが取れなかったので、新規納品先の商談時や、問題が発生した時の経緯の確認やら、注意指導しなければいけない時など、言葉を選びながらものすごく慎重に接して業務を遂行していきました。

 

いやーしんどかった‥‥。

 

ただ、この時に経験が僕の人生の力の源となっています。

言葉選びの慎重さ、年上への接し方、納得してもらうトークスキル、年上を擁護する包容力、リーダーとしての選択、自分の判断で人がどの程度影響が発生するのか、などなど、たくさんの経験をさせていただきました。

 

これを乗り越えられたのはずっと僕の面倒を見てくれた、お兄さんのような存在の上司がいてくれたおかげです。

話を聞いてくれたり、善悪の区別を教えてくれたり、リーダーの条件など、本当に様々なことを教えていただけました。

僕の中でのメンターです。(今でも仲良くさせていただいています)

 

部署のリーダーから社員の管理者へ

苦戦しながらも、ただみんなの事を思い、会社のためを思い、取引先のことを思って働いているうちに、最終的には部署内の先輩たちに信頼されるようになりました。

これがちょうど入社して10年目くらいでしょうか。(あやふやです)

 

そこから主任に昇格し、今度は部署のリーダーではなく、運行管理者として従事することになりました。

運行管理者証↓

 

これがまた本当に大変でした…。

 

僕が勤めていた会社は、365日24時間稼働の会社です。

僕が働いていた時間は5:00~17:00だったので、その時間の仕事だけしか知らないんですね。

ですが仕事は仕事。

知らない仕事のことまで管理しないといけません。

5:00~17:00の仕事では僕はスーパーマンです。

能力も信頼もありました。

しかし、それ以外の時間帯では素人でした。

 

これから管理する人は今までのように部署という規模ではなく、会社全体の従業員です。

顔は見たことあるけど話したことがない。

そんな人ばかりでした。

しかも全員僕より年上(笑)父親の年齢以上の人もいます(笑)

話なんて聞いてくれるわけないっしょ…。

 

ただ、ここで挫けても仕方ありません。

味方だってたくさんいます。

ずっとお世話になってきた先輩。

ずっと同じ部署で働いてきた先輩。

ずっとお世話なってきた上司。

ただその人たちのことを思って働きました。

 

このときも、会社のため、従業員のため、取引先のためを思って。

ただそれだけ思って働きました。

 

2年くらい経過したところでしょうか。

ようやく、社内全体の人と仲良く打ち解けて話せるようになりました。

仕事も把握し、なんとか同じように話せるレベルまでなり、信頼もしていただけるようになりました。

 

自分から人を信頼しないと絶対に人からは信頼されない

と、学びました。

 

退職した経緯

運行管理者としての業務にも慣れ、全社員さん達との交遊もあり、順風満帆な状態で仕事をしていました。

さぁこれから!というのに、なぜか熱意があまり湧きませんでした。

 

当時は新規業務の立ち上げだったので、とてもバタバタした日を過ごしていました。

管理者だったので、部下が休みのときは穴埋めに入り、4:00~23:00の間でシフト勤務していました。

 

自分でシフト管理していたものの、部下の休日を最優先にしていたので、

  • 1日目…5:00~17:00
  • 2日目…4:00~15:00
  • 3日目…7:30~16:00
  • 4日目…12:00~21:00
  • 5日目…5:00~17:00
  • 6日目…12:00~23:00
  • 休み
  • 8日目…4:00~15:00
  • 9日目…12:00~23:00
  • 休み
  • 11日目…5:00~17:00

こんな感じの勤務でした。

時間の変動が結構あって、他人の管理はできていても、自分の管理はまったくできていませんでした。

結局ストレスで2週間入院し、復帰後退職する旨を伝えました。

 

入院中に考えていたこと

入院中は新規事業のこともあり、仕事とプライベートのことをずっと考えていました。

もちろん打ち合わせの連絡や、問題が発生した時の対応はしていましたが、

「入院中にすることなのだろうか」

と純粋に思ってしまいました。

 

今思えば、僕の完全な引継ぎ不足からの失態なのですが、当時はいっぱいいっぱいだったのでそう思えなかったんですね。

 

そこで、自分のことを管理しようと思ったわけなんです。

「何か世の中に形を残したい」

って。

 

運送業は素晴らしい職業ですし、道路が倒壊すればあっという間に町は品物不足になります。

それだけ国民の生活を支えているのがトラック業界です。

 

でも、僕には違った未来を体験したくなりました。

荷物を運ぶだけではなくて、世の中に価値を提供したいと。

 

お世話になった上司や同僚、先輩や取引先の方たちには、有難いことに大変惜しむ声をいただきましたが、思い立ったら即行動!退職届を提出し、会社を後にしました。

 

退職した後は心の中がぽっかり空いた日が続いた

辞めたい、と思って辞めたのはいいものの、実際辞めてみると心の中がぽっかり空いた感じでした。※実働は2020年5月31日で終了、あとは有給消化していました

 

当時、朝4:00~23:00の間シフト勤務で働いていた僕は、今までの人生仕事にすべてを捧げてきたので、それがなくなると急に自分の存在自体が無価値のように思ってしまったんですよね。

※2020年10月現在、その時のことはよく覚えていません

 

いわゆる燃え尽き症候群でしょうか。

 

再起動するまでに結構な時間がかかりました(笑)

 

 

個人事業主になってから

退職してから現在まで約3年。

ノースキルで退職したので必死に生きてきています。

現在の収入源は4つあり、

  • ブログ運営
  • Amazon物販
  • ebay事業
  • ストックフォト販売

です。

メインはAmazon物販ですが、全体の年商で約2,500万円程度です。

2023年では既存の事業に注力し、肥大化させていきます。

 

 

余談:ストレングスファインダーの結果

ストレングスファインダーは全世界で1,800万人以上が利用している大定番の自己診断テストです。

受けると自分がどんな才能があるのか、どんな特徴があるのかを診断することができ、日常生活や仕事に活かして活躍することを想定しているテストです。

ここから診断結果をどうやって自分に活かすか、活かされていたのか解説しますので、もしストレングスファインダーを受けることがあったら参考にしてみてください。

 

 

会社員時代の結果

  1. 責任感…自分がやると言ったことに対しては何でもやり遂げようという強い気持ちを持ちます
  2. 個別化…ひとりひとりの最もよいところを引き出すことができます。
  3. 最上志向…優秀であること、平均ではなく。これがあなたの基準です。
  4. 慎重さ…あなたは用心深く、決して油断しません。あなたは自分のことをあまり話しません。
  5. 包含…「もっと輪を広げよう。」これはあなたが人生の基本としている信念です。

すべて当たっています。

 

会社員時代は管理者として従事していたので、責任感は超重要でした。責任感がないと仕事が進みませんし、いつまでたっても終わりません。頼まれたらすぐにやる、常識です。

 

従業員一人一人と向き合っていたので、個々の性格やクセ、強みや弱みを掴まないと仕事になりません。これが2つ目の個別化です。

 

そして3番目の最上思考ですが、「どうせやるなら120%」が僕の流儀です。

言われたことをきっちりこなし、そのうえで本当は何を求めているのかを考え、提供する。

仕事とはそういうものだと思っています。

 

4番目の慎重さ

管理者としての慎重さも超重要です。

だって、僕の指示一つで大事故になってしまうこともありますし、配車ミスしたらその人の給料にも関わってきます。

打ち合わせでもそう。

安い金額で受けてしまうと、会社も悪い・従業員も悪い・そして受けた僕も悪い。

誰も得をしない結果になるため、慎重さも超重要でした。

 

最後に5番目の包含

包含が無ければ従業員を差別やエコひいきするようになります。

包含とは、

どんな人でも受け入れ、輪の中に入れよう。輪の外から見ている人がいたら中に入れてあげよう。

そんな意味なのですが、まさしく僕です。

社内で少し浮いている人には絶対に一人にしませんでしたし、仲間と打ち解けるように行動しました。

また社内で大事故を起こし、他の従業員から冷たい目で見られていた社員にも、他の社員と打ち解けられるよう誤解を解いたり、空気を良くしたりしていました。

包含の素質が無ければチームを上手く導くとができません。

 

会社の業務と僕の素質が見事にBest matchしていましたね😊

 

個人事業主時代の結果

  1. 個別化…ひとりひとりの最もよいところを引き出すことができます。
  2. 共感性…周囲の人の感情を察することができます。彼らが感じていることを、まるで自分自身の気持ちであるかのように感じることができます
  3. 親密性…一旦最初の関係ができあがると、あなたは積極的にその関係をさらに深めようとします
  4. 学習欲…あなたはいつも学ぶ「プロセス」に心を惹かれます。
  5. 責任感…自分がやると言ったことに対しては何でもやり遂げようという強い気持ちを持ちます

個人事業主となり、まずはブログから始めました。

執筆において個別化は必須です。検索してくれた人の悩みや疑問を解消するために記事を書くわけですから、読者の潜在的な悩みを発見し、それを気が付かせてあげる執筆が必要なのです。個別化は非常に重要な素質なのです。

 

またAmazon物販に関しても、仕入れ先との関係があります。

これは営業の部類に入りますが、その人の特徴と良さを最大限引き出せるような動きを僕がすることで、仕入れが円滑にいきます。

 

2番目の共感性。

前述した仕入れ先との関係に役立てています。

お店での売り上げは足りているのか、値下げは厳しいのか、同業者の横行に悩んでいないのか、あるいはプライベートのことで悩んでいないのか。

それらを察し、自分のことのように感じられるので、多くの人は安心する、と言ってくれます。

 

3番目の親密性。

会社員時代は、人付き合いにそこまで積極的ではありませんでした。

しかし、個人事業主となった今、人はすべてです。人付き合い無くして生き残れません。

一度知り合った人と、ウマが合いそうな人とは、一緒にビジネスをしたり、知識を共有したりしています。親密性は僕の中で大事な素質です。

 

4番目の学習欲。

会社員時代は学習なんてまるでしていませんでした。

本を読む、教材を買う、セミナーに行く、芸術を感じる、こういったことはほとんどしていませんでした。本当に仕事一筋で、仕事が楽しくて仕方がなかったからですね。

今は時間があれば積極的に本を買い、学び、自分に新しい風を入れるようにしています。

高額コンテンツも購入しますし、学びには貪欲になっているので、4番目の素質に食い込んだのですね。いやはやすごい。

 

5番目の責任感。

個人事業主において、責任感も重要です。

執筆で言えば確かな情報を。

物販で言えば検品は確実に。

新規の仕事を受ける際は自分のできる範囲で。

とはいえ、個人事業主としては責任感よりも、他上位の素質の方が重要なので、5位に下落したんだと思います。

 

さいごに

ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます。

今まで生きてこれたのはたくさんの人に支えられてきたからです。

今度は僕がみなさんに恩返しをする番です。

 

まずは以前勤めていた運送会社の助けになりたい、その思いから求人ページを作成しました。

参考記事:【募集】未経験者OK!トラック運転手になりませんか?正社員雇用です!
【募集】未経験者OK!トラック運転手になりませんか?正社員雇用です!
こんにちはきくさん(you_1581)です。 この記事では以前僕が勤めていた会社への求人紹介の記事です。 「トラック運転手として勤めたい」 「未経験で不安な方」 「正社員になりたい方」 「決まった時間で働きたい方」 「1年に1回大型連休が欲...

 

僕にできることで何か力になれたら。

毎日思いながら今日も生きていきます。

 

ありがとうございました。

全ての人に幸せが訪れますように。

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